父母の眠る地、誕生寺 父を失った勢至丸は、叔父観覚得業の菩提寺に入る。 岡山県と鳥取県の県境にある那岐山の中腹に位置し、当時七堂伽藍をほこった天台宗の名刹であった。
法然上人初学の地で現在浄土宗の史跡として特別霊場である 観覚は勢至丸の才覚が凡人でないことを知り、京都比叡山行きを勧め、十五歳に成長した勢至丸は(十三歳説もある)生地稲岡の庄にもどり
母と別れ、京に旅だった。
久安三年(1147年)2月のことであった。 母・秦氏にとって、夫・時国を失い、たった一人子である勢至丸を今また遠く都の彼方にやることは、 耐えがたい悲しみである。しかし、この子をこの地に留めることは、
夫・時国の遺志に背くことにもなる。つらく悲しいことであるが、我が子の比叡山行きを承知したのであった。
かたみとて はかなき親の とどめてし
この別れさえ またいかにせん (母秦氏詠)
母子が恩愛の絆を絶ちきって愛別された年の秋、母秦氏は三十七歳の若き身で病没された。
かくして貴族仏教を庶民仏教として、鎌倉仏教の改革者法然上人の 出現は、父母の温かい育みの中に成長され、 また絶えがたきを耐え真実の道を指示された、
この両親の仏教信仰にあったといえよう。 父・時国、母・秦氏が今もなお静かに眠る聖地こそ、美作の国、誕生寺なのである。
流れも清き吉水の そのみな上や美作や 久米の皿山さらさらと
詣でて仰ぐ法の師のあと ああ尊しの誕生寺
法然上人御両親法号 父・時国公 菩提院殿源誉時国西行大居士 行年43歳 保延7年 3月19日寂
母・秦氏君 解脱院殿空誉秦氏妙海大法尼 行年37歳 久安3年11月12日寂