通説勢至降誕 その4

仇を追わず出家の道へ
 わが子勢至丸に定明を仇として追うことを戒め、卓然とした出家の人生指針を与えた時国の心境は まこと偉大なる、仏教信仰者であり、菩薩道そのものであった。
  この父の遺言あって、やがて勢至丸は出家し浄土門の開祖 法然上人となるのであった。美作の大豪族のあととりである一子勢至丸その子に 出家さすということは、家は断絶である。 本来特に名門といわれる家が絶えるということは、 その時代においては最大の屈辱といえよう。
 おそらくこの家に仕えていた家来達にとっても 時国の遺言は思いもよらぬ絶望的なものであったにちがいない。
  敵定明に対する恨みをすて、一子勢至丸に仏道を歩むことをすすめ 命終えたる時国、四十三歳であった。  

   「うけがたき人身(にんじん)をうけて、
    あいがたき本願にあいて、
    おこしがたき道心(どうしん)を発(おこ)して、
    はなれがたき輪廻の里をはなれて、
    生まれがたき浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなり。 」      (法然上人ご法話「一紙小消息」より)

 人間が人間として、この世に生を受けることそのものが 不思議なことである。 またその人間の中で「仏法」との出逢はほんの一部の人である。
 私達人間は、尊い人の身を受けながら不平不満を言って日々を過ごし、 欲の為にだけ生きている。
 しかし、この世、娑婆界は絶対的な所ではない仮の世なのである。財力、権力、名声すべて夢、幻ごときものである。
 法然上人の父時国は「仏教」に出会うことにより これら世間の習わしを悟ったのである。
 そして、仏教信仰の真実の道を生きようとされたのである。 生きられたのである。そこに万民救済の法然上人が生まれ、 この父あっての上人であり、念仏門浄土宗が誕生したといえる。

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