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史跡 法然上人御誕生之聖地

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周辺地図

地図

浄土宗特別寺院 美作 誕生寺

〒709-3602 岡山県久米郡久米南町里方808
 TEL.086-728-2102
 FAX.086-728-2162
 E-Mail. info@tanjoji.or.jp


アクセス

電車の場合

JR津山線 誕生寺駅で下車、徒歩10分。
※道沿いの至る所に看板が掲示されております。

自動車の場合

中国自動車道 津山インターチェンジから約30分。
       院庄インターチェンジから約20分。
山陽自動車道 岡山インターチェンジから約50分。
 ※駐車場100台(第1から3まであり。第1駐車場からご利用ください)


周辺ガイド

○○○公園写真

天台宗 岩間山 本山寺

当山は今から1300年の昔、役の行者・小角が修行した跡といわれ、大宝元年(701)佐伯有頼がこの山で狩りをして奇瑞を感じ、出家して頼観と号し、寺を建てて新山寺と名づけた。今、金毘羅神をまつる東南の山頂である。それから五十余年後、唐の高僧・鑑真が来て、名を本山寺と改め、大いに伽藍を興したという。 平安時代も盛りをすぎたころ、戦乱のため荒廃したが、そのころこの山へ狩りをした、久米師眞が霊瑞を見て出家し、名を眞道と改めて、専ら本尊に仕えていた。同じころに弓削師古が材木を求めて、この山に霊木を発見し、出家して古道といい、仏師にたのんでこの霊木で十一面観音像を刻ませた。
以後、眞道と古道の両師が協力して復興に努め、天永元年(1100年)現在地に移転、本堂・講堂・三重塔・多宝塔・鐘楼・鎮守社・仁王門、等々を建てた。  これから寺は大いに栄えて、百二十坊と称せられた。長承元年(1132年)稲岡ノ庄(久米南町・誕生時)の漆間時国夫妻が、参籠して嗣子を授け給えと折り、願いがかなって生まれた勢至丸が、後に出家して比叡山で仏教の奥義を究め、浄土宗の開祖・円光大師法然上人(源空)となったのは、有名な伝説である。観応元年(1350年)現・本堂が建てられた。柱で五間四面(実測・七間半)、当時の流行の和様・唐様折衷様式で、県下に稀にみる古建築である。


○○○祭りイメージ

高貴山 菩提寺

奈良時代に役の行者・小角によって開創されて以来、菩提寺はさまざまな変遷を重ねてきました。宗派も法相宗(開山から114年間)、天台宗(369年間)、浄土宗(491年間)、真言宗(208年間)と移り、明治初期に再び浄土宗に復帰しています。 ただし、開山から江戸時代初期までは独立した一本山でしたが、浄土宗から真言宗に移ったのは、寛文5年(1665年)、キリシタン禁制を目的とする幕府の宗教政策によって各宗本末制度が整えられた結果です。それまでは宗派といっても今日のようにはっきりしたものではなく、菩提寺は独立した一本山であるとともに、法然上人所縁の寺として浄土宗に属していました。したがって、この時、本来なら浄土宗となるべきところ、菩提寺がある高円村の村人の多くが真言宗であったために真言宗嵯峨御所(大覚寺)の末寺になったと推定されています。
 その後、菩提寺はたいへん衰退。それが思わぬことから明らかになっています。 安政6年(1859)、曹洞宗の大本山、総持寺と永平寺の間で袈裟を巡る争いが起こり、江戸の寺社奉行に訴訟するという事件に発展しました。その時、高円村の曹洞宗寺院、蓮光寺の住職・達音という人が総持寺の役員として江戸に呼び出されています。その達音にたまたま出会ったのが増上寺役員、香誉上人でした。 香誉上人は達音が高円村の人だと知り、法然上人ゆかりの菩提寺の様子を尋ねました。すると、菩提寺は今や荒れ果て、檀家のない極貧寺だということでした。 このままにはしておけないので知恩院・増上寺の総大本山は菩提寺の浄土宗への移籍を大覚寺に働きかけることに決定しました。記録によると、万延元年(1860年)、50両の離末金を大覚寺に献金して交渉していますが、いろいろな事情で話はまとまりませんでした。しかし知恩院・増上寺は、菩提寺に阿弥陀仏像ほかを寄付し、復興に尽くしています。 が、その甲斐なく、明治6年(1873年)、当時の北条県の命達によって菩提寺はついに廃寺となりました。その理由は「無禄無檀永続の目途なし」ということでした。 しかし、明治9年、吉水祥真・吉水賢融の両師がここに立ち寄り、地元の人から安政・万延の頃のいきさつを聞きました。これが新たな復興の発端になります。 知恩院では早速、再興主任を定め、各方面に働き掛け明治10年、官許得て再興が成ったのでした。


○○○海浜公園写真

仰叡の灯(都原)

 勢至丸(のちの法然上人)15才の時、父の遺言に從って仏道修行すべく都に旅立ったのである。
 その時見送りに来た母・秦氏と永久の訣別となったのがこの地である。最愛の一子勢至丸との別れは母にとって堪えられない悲しいものであった。その後も母は毎日この地に来て遠い都、比叡山で修行しているわが子勢至丸に想いを、めぐらしその無事を祈ったとつたえられている。 それ以来、この訣別の地を誰となく「都原」と呼ぶようになった。この母の限りない慈愛の情があってこそ万民救済の道をひらかれ法然上人が生まれたと言えるであろう。(昭和57年法然上人お誕生850年を記念して有志により碑が建立された)


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浄土宗特別寺院 美作 誕生寺

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